アナーキリズム

高円寺に越して一か月、そんで昨日までADSLが1ヶ月不通で不便でした。はぁ。

そうそう浅羽通明アナーキズム―名著でたどる日本思想入門 (ちくま新書)』を通勤で読み終えました。
浅羽通明は、多くのアナキズムを快楽物質的お花畑千年王国主義と断じますが、そりゃあまりに大雑把。RLLも震災ユートピアとB感覚(生政治high)の近似性は自覚していますが、それは直接に弥勒黙示録千年王国主義と関係しない。震災ユートピアは、共同体コミュニケーションの問題であってリ-トラウマの快楽や天災世直しでもないし。黙示録って人間のどこにでもある願望で、バタイユ『呪われた部分』ってことっしょ。
僕らのアナキズム理解は、多くはジャン=リュック・ナンシー無為の共同体―哲学を問い直す分有の思考ブランショ明かしえぬ共同体 (ちくま学芸文庫)』とリンギス『何も共有していない者たちの共同体』と黒人音楽(!これが一番重要)から演繹した感覚的なものですが、それがポスコロ的黒人的アナキズム人類学的な感性なんですよ。最終章で出た網野善彦無縁・公界・楽 増補 (平凡社ライブラリー)』が確かに直接には近いかな。そして間違っても昭和ファッショの高揚(真っ白な快楽)とは全く結びつかない、友愛的な悦楽。〈快〉ecstasyと〈悦〉joyはある意味真逆の情動のテイストなわけ。ここでフランツ・ファノン「リズムが世界秩序を変える」で平岡正明のリズムの革命論だ。〈快〉のジャストのリズムから〈悦〉の共同体を繋ぐ友愛のオフビートのグルーヴだ、Punky Reggae Partyだ!ってわかるかな。
浅羽通明は音楽を聴かないので、やはり感覚として情動である快楽/悦楽の差異がわかっていないわけですね、それじゃ政(まつりごと)が祭事だってのも無理解です。前のメモ書き日記のダンスフロアの祝祭的直接民主主義が神髄なんす。
あと近代の社会契約論を通過しない国家ではない共同体問題であれば、スピノザ。『談』の特集が「情動回路」http://www.dan21.com/index.htmlで、そのことが詳しくのってます。「コナトゥス、喜びの情動」ってのがアナキズムなんじゃない(あてずっぽ)。



中間思想はそんなに恐くはない。今の関心は、ネオリベ感情労働だ、市場原理主義だ。公共選択論の裏の合理的選択理論、ゲーム理論と結びついたあの心理学のふりをした限界効用理論がきもいわけだ。チェスと人生を間違えるなよ、最後はオカルト原理主義だぜ。
ピエール・クロソウスキー生きた貨幣』を御勉強しつつ聖社会学をネタ読みし、人間の呪われた部分を文化の中心に見据えてニーチェ-バタイユ-フーコーの系譜から『文化=政治』する僕らRLLとしては、やつらは完全に敵だ。多数決や合理的選択が正義だって? 文化を見てみたら、売れているモノといいモノは違うだろ。


そう、断言するが全ては文化の価値の問題だ。もっとも小さな文化とは、二人の人(親子か恋人か)の間にあるこころの交換ポトラッチだ。それは近代合理主義からはみ出た人間の呪われた部分、文化こそ人を幸福にするのだ。