サバルタン=ロックンロォラー

ちょっとだけロックンロォルを。
DJ用の選曲のために色々聴き漁る。


1曲目は物凄く大事だ。その時間の空気を作るのだから。
でファンクやらレゲェやらブルーズやら(といってもアウェーな僕の知りうる範疇)を改めて探っていたのだ。異化効果と選曲の自由度を上げる露払いとして、絶対的な空気を持つ音盤が必要だったから。


やはり、というか、不覚にも、というか、僕自身のオリエンタリズムとして、それら黒人音楽が機能している事を自覚せざろう得なかった。それは今も当然サイードの批判した視点でビルボードチャートを動かしている。


で、改めて50年代に登場してきたロックンロォルが、強いオリエンタリズムをかき立てたことに気が付く。当時、白人青年が黒人の様に歌い黒人歌手が猥雑に十代の要望を駆り立てる、というのは本当に禍々しいことだったのだろう、と想像がつく。ブリティッシュイノベーションの成功は、英国という海外からのロックンロール・リバイバルだった。英国的な意匠で黒人色が薄く間接的だったが故のヒットなのだろう(ビートルズが発言するまで、米国民はマディ・ウォーターズを知らなかった!)。


そう考えると、ポストコロニアル文化が最初に開花したのは、奴隷解放後の米国南部の黒人居住区だったのかも、と妄想する。かの地でブルーズが産まれそれがロックンロォルとして混血してゆく時代は、搾取の面があるとしても、ポストコロニアル文化がオーバーグラウンドして西洋的価値観を切り崩してゆく革命性があったのだ。


放蕩、狂躁、痛飲、乱用、騒乱、猥雑、衝動、暴走、乱交、盗癖、倒錯、徒党、暴発、轟音、破壊、自滅
ロックンロォルの不良性などと云われる部分は、全てこのオリエンタリズムを白人がロックンロォルを演じることの差異性にあるのだ。サバルタン=ロックンロォラーである。モダニズムの中であってはならないこと、プレモダンな野蛮。西洋の帝国主義的価値観は内側から食い荒らされる。


それはその後68年を用意し、未だ強管理社会の中で原始の声を胎動し、市場主義下で革命を準備するのだ。