ポスト

ロックのフィールドに於いてポスト云々いうジャンルが流行りだった90年代。ポストモダン通過後、そしてニューウェイブ的等価折衷の後においてはその接頭詞は全て戯れ事である。ポストロックやポストハードコアなるタームはロックやハードコアの物語性をニューウェイブ通過後も維持し信望していたという、逆説を示しているに過ぎない。
ストパンク/プレニューウェイブ期である70年代後半にワイヤーが「ロックで無ければ何でもいい」といい、ジョニー・ロットンが「ロックは死んだ」と語った時から数えて何年がたっているだろう。ロックが90年代に入り世界音楽としての地位を放棄した発端であるその時から…
よく最近ニューウェイブプログレを並列して聴く人がいるが、両者は全く相容れない思想から成り立っている。ロックというモダニズムへの信心を持つか持たざるかということだ。両者を聴くと言う行為自体に矛盾を感じないとすれば、それはその人がプレモダンな人間だと言ってしまおう。

ポストロックがジャーマンロックとテクノからの影響を受けて立ち上がって来たとき、既にロックなる思想からは遠く離れていたはずであるのに、何ゆえにその語をあてはめたのか。そもそもジャーマンロックすら欧米ロックモダニズム思想からの距離をとっていて、結果的にパンクへの導火線としての役目を果たしていたのだから。ロックなるモダンの源泉から何かをかすめとる意図さえ感じる。
ポストハードコアに至っては哀れである。パンクとは最初からその様な運動であったはずである。ロックの解体と再構築を繰りかえす運動の初衝的な発動(再構築)を急性化させたハードコアのその先には解体が待っているのは分かりきったことではなかったか。英国に於いてはロンドンパンク勃興からわずか2年あまりでニューウェイブ的展開が始まるのだったが。米国に於いては10年のハードコア地下活動期があり、94年のオーバーグラウンドに受け入れられた時期からそのポストハードコアが始まった。余りに悠長で冗長である。
テクノとhiphop/R&Bに先端をロックが奪われたのはパンク以降の必然である。その脱構築運動が必然的にロックの世界音楽たる理由の幾つかを分散させたのだった。故にパンクはテクノとhiphop/R&Bの分母であるしメジャーフィールドへの切っ先であった。初期衝動とポップとダンスと速度とノイズ…多くの要素をロックからパンク経由でテクノとhiphop/R&Bは受け取りながら拡大してきたのだ。