「ダンスフロアの奇跡」

”this time is yours”という言葉をTBHOnly For The Mindstrongの”Annui Dub (Thank You Very Much My Friend)”で教わった。

Joe Claussellの曲”Agora E Seu Tempo”英語ではこう云うらしい。ある時のこと。


この概念を僕は「ダンスフロアの奇跡」とずっと呼んでいた。




これは、器官と感情と思考が連関する一つのハメの形だと思う。非常に中毒性のある体験。非日常の状態。忘れられない大事なもの。

大きい音をずっと聴いていると、無音になる。そんな体験をしたことはないだろうか。それと同じことが光や色や時間にも同時に起った感覚。それでいて世界からの肯定が起こる。分からないだろうか、これこそ言語的転回の体験だ。

まず、何も予兆なく音が突然溶け出す、これはダンスの好きな人間なら割としばしば起こるので驚くことではないだろう。そこからだ、揚がり方は全くスピードを変えずに上昇をひたすら続ける。身体はリラックスするが止まらない。それから色が無彩色へ同時に光が、ミラーボールの定期的な乱反射が、方向を失い虚空が形成される。最後に時間が止まり、それでいて一定のBPMを刻むのを足元は辞められない。そう、止まったまま動き続ける。もしかしたら重力も分散してしまったかもしれない。だけれども、感情は覚めて何故かくっきりとし、未来=革命=奇跡を感じて、全てへの肯定を持って沸き上がってくる。そのまま実存が微かに霧散して生命そのものを理解して、孤独な寂しい宇宙を見つめたまま事態を肯定する。絶対零度の眩い瞬く暗黒の中時間が止まったまま、隣の知らないダンサーと交歓することも止まない。音は鳴っているのか関係無くけれどキックもスネアも腰と膝でしっかり握りしめていた。時間は讃えていた。

やがて、どのくらい経ったか分からないけれども、ある概念は、いつもの若干下心ある祝祭やエゴイズムある歓喜へと下降してその”this time is yours”は終わる。

これを最初に感じたときは、多分そのときは30分くらい、アルコールやニコチンすら摂取していない、ミネラルウォーターだけで3時間踊った後のこと。驚くよりこの瞬間を持ち帰る気持ちでいっぱいいっぱいだった。以来、それ以外の飛びが邪魔でしょうがなかった。
多分93年か94年の札幌、木のフロアがとてもよかったredhotってクラブだった…NYからfrancois kevorkianきて廻したパーティだったと思う。やばいパーティだった…すぐにredhotはクローズしてしまったけれど。


ダンスミュージックが好きな人でこのことを体験していない人は居ないと思うのだけれど(簡単な錠剤とは飛びの方向が違うけれどね)、あまり記述した言葉を知らない。今僕がクラブカルチャーと距離を持っているからの無知だろうか。ほかの人の記述を知りたいものだ。


BOSSのリリックはこれ↓

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プレシャスなホールのフロアのまん中でまだ銀色の月が高かった頃、97年の秋ぐらい
そこで見た事も聴いた事もない音楽と遊ぶアンタをやっと見つけた。
そこでは、驚く事にロウは濁った粘土質の濁流みたいに、針は時々細ーい針金の様で、
汗も、涙も、もう枯れ果てて、心で泣きながらそれでもステップは止まらなかった。
ストロボの中、全員が無言で、意識は無音で、向こうで、むかえる極限。
1億年、1光年、永遠、未経験、痙攣、何も見えねえ、状態でこそ見える、なにも考えずに考える。
爆音中で聞こえる静寂。奇蹟の周波数。
針が歌う、パイプが詰まる、一晩中いそがづ一緒に暮らす。
ジェットコースター。モンスタークッキーが炸裂した夜。
98年の12月、2デイズの二日目。
ディスタイムからの飛びは、何時何時一度のラストまで一度も水平飛行に移らず、上がり続けた。
そしてthis time is yoursそう英語では訳すらしい。
目を瞑らなくても良いくらいの、眩しさの、日向の、ふっと出くわした、重力を感じない不思議な空間で 、両手をだらんと垂らして、上空で繰り広げられる細やかな、温かな、音の粒子がぶつかりあう様を何も言わず、見とれると言うよりは、何も言わず、ただその空間にある。
そんな感じで俺らは立ってた。
何一つ言葉にできない、息一つで崩れてしまいそうな、 幻想的にゆっくりと流れるthis timeを、止めることも、追い抜く事も出来ず、ただ見送ってた。
宇宙の中で此処は何処で、人生の中で此処は何処で、俺達は何処に行くんだろう?
今夜は何処へ繋がるんだろう?今夜は何時の間に始まったんだろう?
今夜は、また明日になれば毎日の空気に溶けていくんだろうな…
爆音の中で聞こえる静寂、奇蹟の周波数。
そんときアンタが上を見ながらボソっと呟いたセリフを今でも覚えてる。
この時がずっと続けば良いのに…

プレシャスのフロアの33時、まだ皿は回り、体の周りに、降りてくる安心、嬉しい、悲しい。
今日まであった色んな事、今日あった色んな事、今夜あった色んな事、今夜あった色んな人、おぉ、全ては、この一曲のためにあったのか。
目を疑う、熱が伝わり、夜が繋がる、ミラーボールと耳の間で今がキラッキラッと泣いた。
一生で最も美しい景色の一つ。
俺はそれまで使っていた言葉を忘れた。
すると暫くして聞こえて来た。
聞こえて来た、そのままを呟いてみる。
この時がずっと続けば良いのにな…

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これが僕の知っている唯一の他人の”this time is yours”「ダンスフロアの奇跡」の記述。


でね、この体験をもとに僕は構造主義の多くを感覚的に理解できた。というかこれがなかったら言語的転回の多くを粗忽な理解で済ましていた。哲学は形而上の体験と一致する。

「ダンスフロアの奇跡」を神秘体験で済ます杜撰な言葉なら多く知っているけれど、中々同一の感情をトレースするリリックや告白を読んだことが無い。安易なチルもイージーでいいけれど、これを感じていないのなら残念ね。
それとも札幌のPRECIOUSやAL'Sはそんなに特別な場所だったのか。