25回目の命日

quawabe2005-12-08

かの、キリストより有名な(でも紅衛兵は知らない)トロツキストのミュージシャンの25回目の命日。

僕は彼の2番目の妻は嫌い(近親憎悪か?)なんだれれど、彼のことは嫌いじゃ無いし、むしろバンドを辞めて夫婦で作ってた曲の方はかなり好きなんだ。すっかり時代とずれたり餓鬼に入れ揚げたり、夫婦喧嘩したり裸で抱き合うのを開陳したり、ってな人間性と切り離せないソロの音を聴くといつもセンチになるんだな。

ジョン・レノンが死んだ時は笑っちまった 21年間生きてきた俺にとって何の意味もなさなかったんだから」とは90年代最高のロック詩人、マニックスのリッチー・エドワーズの言葉ですが、僕もそう思うんです捻た意味で。

金も名誉も十分にありながら、充たされないことを執拗に曝け出すその10年あまりの音は、ベタな愛と平和のパブリック・イメージとはかけ離れていて陰鬱ですらある。その軌跡は、悩みに悩んでぐるぐると立ち止まって考え倦ねる多くの真摯な気持ちと、何にも変わらない。少しだけ違うのは、彼はロックンロールを信じていたことくらい。
僕は、彼のロックンロールと人間性を信用する。しかし出口としてスターとして希望として上の方に掲げ祀ることはしてはいけない。資本がヨーコと組んでイメージを剽窃してスペクタクルに使うなら、僕らは徹底的に機能的に使い倒すのが礼儀だ。例えば、[Cold Turkey]はこの時期最高にダウナーなレゲエの名曲だ。赤緑に浮かれる街から帰るなり、この曲で孤独と供にダンスしよう、臆病な自分を嘲笑出来るくらいあがるはすだ。

孤独で不安でどうしようもないってな世界でサバイブするための一つのツールとして、彼の残した音を使え。ジョンでなくロックンロールを信用しよう。
つうことで、僕は今晩は[Happy Xmas(War Is Over)]で精々やり過ごすことにしよう。