12「現在のネタ その2」

第6弾 トライブTシャツ
思想タームシリーズとしての第3弾は、アーバン・トライバル・スタディーズから「トライブ」です。 社会学者/批評家の上野俊哉は著書で「都市の部族(Urban Tribes)」という概念を提起する。『このことがもっともはっきりするのは、ポップカルチャーやロックの周辺である〔中略〕さまざまなメタリックなアクセサリーを着たヘヴィメタル、Tシャツに安全ピンのパンク、ドレッドヘアーに、独特の三色の色使いで飾ったラスタ(レゲエ)、ツートーンでキメたかつてのスカ、プレスリーやハーレーに憧れるロックンロール、DCやカラス服で飾ったニューウェイブ… …といった具合に、それぞれのポップジャンルはそれに固有のスタイルやスーツの“かたち”、“定式”をもっている。〔中略〕特定のスタイルは、つねに一定の生活習慣や考え方、信条、生き方、身ぶりにもしっかりと結ばれている。つまり、ポップ/ロックとスタイルのつながりは現代社会において〔中略〕逆説的にある種の「部族」を成立させている(シチュアシオン―ポップの政治学)』長いがもう一つ引用。『ある種の若者文化、サブカルチャー、都市の文化のなかに様々なかたちで存在する趣味やスタイル、身ぶりはそれぞれの小さな集団性、共同性を形成し、互いに影響しあったり、また文化的に、時には物理的に争ったりしている。このような感覚の共同性と、場合によってはある種の敵対関係(antagonism)によって成り立つ集団を、ちょうどアルカイックな社会において儀礼や信仰を共有する集団のカテゴリーになぞらえて、「部族」という言葉で呼ぼうということである。(アーバン・トライバル・スタディーズ―パーティ、クラブ文化の社会学)』
まー、音楽に限らず、オタクもバイカーもエンスーもギャルもスロッターもレイバーもダンサーもフーリガンもスモーカーも、みーーーーんなトライブだってこと!


第7弾 リゾームTシャツ
思想タームシリーズとしての第4弾は、ドゥルーズガタリの概念「リゾーム」。ダブの名盤ワッキーズAfrican Roots, Act 1」ジャケをジャミング!
リゾーム(根茎)」とは、フランスの哲学者ジル・ドゥルーズ精神科医フェリックス・ガタリの共著『千のプラトー―資本主義と分裂症』の基本用語。「トゥリー(樹木)」状の伝統的な体系思考と対立する、特定の中心を持たず多方向重層的に錯綜し延びてゆく思考のこと。まさにダブな思考方法!
リゾーム」を利用し、カリブの思想家グリッサンは「“関係”の詩学」において「リゾームとしてのアイデンティティ」あるいは「関係としてのアイデンティティ」という概念を作った。それは固定した単一のものではない、網状にひろがっていく多数化したルーツのこと。カリブ海の植民地下で作り上げられた「関係としてのアイデンティティ」の実践としてレゲエ/ダブはある。「アフリカン・ルーツ」とは複数の歴史と文脈が錯綜し、異文化がぶつかり反響した「関係としてのアイデンティティ」の音である。 ダブなアイデンティティでうさん臭い伝統なんて無視、思いつきでいい加減で雑食な君に!


第8弾 ピーポットくんTシャツ
梵シリーズの第2弾はピーポットくん。ザイオン星からやって来たピーポット(PEO POT)くんを応援しよう。タイマ好きだけどタイホ嫌い。音楽と平和をこよなく愛するピーポットくんを日本の象徴に!


第9弾 大杉栄Tシャツ
思想家シリーズ第1弾は、「美は乱調にあり」で有名なアナキスト大杉栄大杉栄は、直接行動を信条とした日本唯一の革命家、「一犯一語」主義というトッ捕まったら外国語一語を覚えたインターナショナリスト、奔放な自由恋愛主義者、そして不遜で傍若無人な自由人。そんな大正のブッ飛んだアクティビストに敬意を込めてRLLが某スケートブランド風にアレンジ。ファンキーな自由を求める方に提供します。


第10弾 唖蝉坊Tシャツ添田唖蝉坊―唖蝉坊流生記 (人間の記録 (114))
とうとう10作目! リスペクトシリーズとしての第2弾は、添田唖蝉坊添田唖蝉坊は、高田渡やソウルフラワーがカバーする元祖レベル・ロッカー。レベル・ミュージック繋がりでCRASSのデザインスタイルをジャミング! さらに代表曲「ああ金の世」のユーモアとアイロニーに溢れた一章節を背中に入れました!


第11弾 fascism≒Globalism Tシャツ
現在おこなわれているグローバリズム
卍ブランドの熱狂的なナルシズムにおいてナチズムである
卍圧倒的なポピュリズム消費主義において全体主義である
卍快楽市場を誘導する寡頭政治においてファシズムである
卍越境する資本の破壊と同義的な開発において侵略である
卍隠蔽された内部植民地との関係において帝国主義である

中心の無いネットワークとしての排他的政治体制に移ろうとする世界。
冷戦から帝国へと賞揚された管理秩序は外部の無いファッショである。
歴史は繰りかえす、一度目は悲劇、二度目は喜劇として。
RLLを着用する者は、喜劇役者として道化として、
これからの裏舞台を跋扈するであろう。