The Golden Age Of Rock’n’Roll


朝日新聞社AERA in ROCK」(http://www3.asahi.com/opendoors/zasshi/aera/mook/rz20050225/index.html

講談社「Rock In Golden Age 〜ロック栄光の50年〜」(http://shop.kodansha.jp/bc/rock/)を立ち読み。

未だ大手出版社のロックとは70年代のハードロック/プログレであるということか。というか団塊以下の読者層にとって、ということなのか。いずれにしても健全で上品で安全なロック観がこの紙面から伝わってくる。議員の先生のフェイバリットアルバムにしろピックアップされたミュージシャンにしろね。
あと大事なのは、紙面上ビートルズは重要でストーンズ/フー/ディラン/ドアーズが軽いということ。これは70年代中心の読者層を考慮してのことなのだ。日本での一般層のビートルズ受容は実は解散(70年)後のベストの赤盤青盤でなのだ、ということ。そこでは純音楽的に咀嚼され安定成長期の趣味の一つとして受け入れられた権威的価値がついた栄光のロックバンドビートルズ像であったのだ。そして音楽強度ばかりが強いハードロック/プログレも同様に純音楽的に受容された。であるから、60年代のロックとしての政治的思想的な意味を多く含んだディラン/ドアーズは大体過少され音楽性で斬るには歯切れ悪いストーンズ/フーも知る人ぞ知るとスルーされるのだ。ヒネていて狂っていて危険で病んでいて情けないビートルズなど居なかったかの様に。

その中でAERA松村雄策氏の黒人音楽とロックについての稿は白眉。当時の白人同様に黒い音をスルーした日本のロック状況も分かるのでは。日本のロックの不幸とは、68年までの政治/芸術の夏の時代にBGMがロックではなかったことかもしれない。

そうそう創世記の50年代末のロックンロールと70年代末のパンクを無かったことにするロック史観が蔓延っているのは、ある意味正しい。まともに捉えようとすれば音楽だけでは済まされなくなる社会事象であり政治と音楽の関係になるのだから。同様に黒人音楽を純音楽で語る事も不毛ではあるが、これは表層を機能的に消費している。ポップスとして流行歌として当初ロックンロォルが登場してきたが、その中に市場を共同体を時代を喰い破るアンモラルな衝動と意図が隠されていた。二度目の登場であるパンクはそれを隠そうともしなかったが、風俗として消費された。おそらく三度目はないのだろう、栄光は50年で途切れかかっている。