ロックンロォル創世記

quawabe2005-03-31

50年代後半の創世記には電気化したギターとビートが強調さえされていれば、ルーツミュージックさえもロックンロォルに翻訳されていた。プラスチックラジオから流れるロックンロールはフォーティズム(ピンクキャディラック!)のコンベアのバックグラウンドミュージック。ライン生産とロックンロォルのビートはシンクロしている。そして新しい消費者である小金持ちなティーンの為にドーナツ盤が作らればらまかれる。大量消費とヒットチャートも同一概念、ルーツミュージックを肥やしにポップミュージックは促成栽培されてゆくのだった。白黒取り混ぜながら自作自演のスーパースターが次々と現れ消えた。
アメリカの最も豊かな時代と云われる50年代。永遠のノスタルジーを(コッポラの様に)かき立てられるが、実はロックンロォルはこの時代の白人の価値観からは大きく外れている。今のイメージは以後の時代の捏造である。
ミスドで今流れているオールディーズはその時代は当局から見たとき、危険を内包したシュガーポップスであったのだ。若者中心の市場とモラルを維持しようとする国家の意図は対立していた。そしてシナトラはプレスリーを憎悪し非難した。人種隔離からはほど遠い、白人青年がセックスを強調した黒人のように歌うフォーム。多くの有識者から不穏な衝動で若者を野生化させる悪魔の音楽と言われ攻撃の的となった。ダンスホールは官憲にガサ入され、コンサートは人種の隔離を強制した。ボはバンドの白人メンバーと同じ宿には泊まれなかった。のちに赤狩り同様に組織的にキャンペーンが張られ、アランフリードはスキャンダルで潰され、チャックベリーは摘発されジェリー・リー・ルイスは弾圧され、プレスリーが軍隊に招集される。リトル・リチャードが牧師になり公民権運動とモータウンが立ち上がる中、59年にバディ・ホリーリッチー・ヴァレンスが、60年にはエディ・コクランが亡くなり、やがてロックンロールの死が語られる。Philadelphia Schlock(ずっこけロック)なるクソいまいましい産業ポップスがはびこり、61年アメリカはベトナム戦争に突入してゆくのだった。