徒然混交

quawabe2004-08-24

80年代末期は、個人的には洋楽懐古期(&メタル)だったので、ミクスチャーの最初の時期はギリギリ後追い。しかし90年代にグランジ絡みで語られた、オルタナ勃興はミクスチャーが素地を作ったという話を良く書かれていたっけ。記憶するのはメタルの亜流として見つけられたそれらのバンドの活動と意義。後期は聴きあさった物だった。

当時主流だったハードロック/ヘビーメタルは、ヘアメタル/産業メタル/グラムメタルと揶揄されたヒットチャートの常連以外にガンズ等のR&Rタイプ、スラッシュやパワーメタル、デス/グラインド、プログレッシブハード、そしてクラシカルでメロディアスな物まで幅はかなり広かった。そのサブジャンルの一つとして初期には認知されたミクスチャー一派は実はそれ以外枠に入れられただけのバンド達だった。
ハードロック側から見ると、+ファンクのジェーンズ・アディクション/リンボー・マニアックス/サイケファンカパス/カラーコード(++スカのフィッシュボーン、++プログレのフェイス・ノーモアやプライマス、++ラップのレッチリやアーバン・ダンス・スクワッド、++黒人?のリビング・カラー)等、共通項はファンクを注入するという方法だけ。実はマイケル・ジャクソンやプリンスのやったことを白人バンドがやった様に見られたいことも。しかしパンク側からはファンクとハードロックを頂いたスケーターロックとしてビースティーやスイサイダル/インフェクシャス・グルーヴスを入り口として消費していた。
その後のレイジ・アゲインストマシーンが定型を作ると、上記のオリジネイター達は拡散し(もしくは解散)末期はそれぞれファンクでもない独特の色を強めて行くのだった。プログレ的進化をフェイス・ノーモアやプライマスは強め、サイケなジェーンズはポルノフォー・パイロスに。レッチリは王道バラードで主流に君臨しフィッシュボーンやリビング・カラーはブラックロック・コンプレックスからか混迷したハードロックに陥りカラーコードのスティービー・サラスは王道ファンクロックの旅に出る。

実はこの時期、80年代後半から80年代頭まで、主流のハードロック/ヘビーメタルの裏ではジャンルレスなファンク回帰があったと考える。NYガラージュハウスが流行りディー・ライトがブーツィー・コリンズを使いヒップハウスとレア・グルーヴムーブメントとアシッド・ジャズが起こりブランニュー・へヴィーズがラッパーとコラボレートした。ミドルスクール〜ニュースクールでもジャズネタを取り込みつつも基本はファンクだったと思う。
この流れに無理矢理ミクスチャーを繋げて考えることは出来ないだろうか。東のガラージ西のミクスチャーと。あ、無理あるな…落ちない。