マンチェ/ミクスチャー

quawabe2004-08-23

ラプチャーのエコーズの日本版ライナーでプロデューサーのDFAが語る内容が興味深い。

僕はアメリカでパンク・ロックを聴いて育って、ティムはイギリスでパンク・ロックを聴いて育った

プロデューサーチームDFAは米国人のジェームス・マーフィーと英国人ティム・ゴーズワージーの2人組だ。

僕ら、パンクの最盛期を振り返って、いろんな話をしたんだ。で、話題は『なんで最後に、俺はNYのパンク・バンドのドラマーになって、お前はロンドンのヒップホップ・レーベルのビート・プログラマーになったんだ?』って、ことになったんだ。そこで、僕らが発見した一番の違いっていうのは、アメリカでは80年代末って、小さなアンダーグラウンドの地元ジャンルがプチプチはじけている状態だったんだ。(ワシントン)D.C.シーンがあったし、北西部のシーンはシアトルやワシントン州オリンピアのシーンになっていった。でも、イギリスには『スクリーマデリカ』があって、ハッピー・マンデーズがいたんだよ。それがアメリカにはまったくなかっただろ? で、僕らは『二人の道がキッパリ分かれたのはこの年、1989年だ。それってどういうことなんだろう?』−−そこが、僕らの一番の興味になった。

アメリカにはマンチェがなかったことが、その後のインディーシーンには大きかったと語られている。まあ、北西部シーンと西海岸のミクスチャーシーンは絡まないので彼等の話は欠落のみを語るのだが。

それで僕達二人は、一緒に何度も出かけては、ラリって、音楽を聴き続けた(笑)。『ロックとダンスとエクスタシー・カルチャーすべてがクロスするのはどこなんだ?』って。長い時間かけて、自分達の本当に好きなものを見つけていったんだ。

そこで見つけたのがラプチャーであったという訳だ。
一応引用はここまで。英米それぞれのインディーパンクシーンは89年を境に断絶していったことが、当事者の口から語られるのが大変面白い。昨日の日記を書く時点では完全に忘れていた話だったし。

これは勿体ないネタなのでつづく…