首都

quawabe2004-07-12

前の前の会社は神保町に近い御茶の水にあった。体力もあり気分の乗った日に御茶の水から新宿まで徒歩で歩いた事がある。山手線の内側は東西には実はそんなに距離は無く、その日は3時間前後で着いた記憶がある。中央線に沿って歩けるのは四谷までで、そこから先は線路沿いに道は作られていない。中央線は一度地下に入り、出て来ても赤坂御用地新宿御苑を縫う様に走り、並走する道路は存在しない。徒歩の自分は迎賓館と赤坂御用地にぶつかり、渋々新宿通りに戻り新宿を目指す事になった。
前の事務所は原宿と外苑の間くらいの外苑西通りに近い青山環境。タクシーで表参道から神保町にお使いに行く機会があった、車窓を眺め青山通りを上がっていくと紀尾井町辺で風景が変わる事に気付く。急にお水でアーバンな港区臭が消え千代田区の看板が見当たる。政治の臭いのする議事堂や議員会館自民党本部が並びはじめる。
変化は四谷駅と上智とニューオータニと迎賓館の辺から赤坂見附まで。全ての風景は一度、首都高とお堀と歩道に配慮の無い外堀通りで寸断される。千代田区側はお堀で一度高く山になり、その上には国家的重要施設が並び、やがて皇居となる。そこから246は赤坂を下り青山を経て渋谷までなだらかな坂となっている。新宿通りも同様に四谷から御苑前を通り西新宿まで下る。しかしこの二つの流れの始まりは一つではなく、最高裁国立劇場を挟んだまま桜田濠に突き当たり、外周する内堀通りに吸収される。
実は四谷と赤坂は隣街で青山一丁目信濃町御用邸を挟んで歩いてすぐである。それぞれ外堀通り外苑東通りで繋がれているが、行き来はある様に見えない。皇居によって新宿と渋谷は引き裂かれている様に思えてならない。
新宿のバックボーンは本郷/お茶の水/神保町からの流れである。対して渋谷は246沿いの青山/赤坂の流れと六本木通り沿いの西麻布/六本木である。二つの街を結ぶのはたった山手線と明治通りのみ。明らかに人の流れは寸断されている。
寸断する施設でに見ると東から順に日比谷公園/皇居/北の丸公園/靖国神社/外濠/上智大学/ホテルニューオータニ/国会議事堂/最高裁判所/迎賓館/赤坂御用地/学会本部/神宮球場/国立競技場/新宿御苑/代々木党本部/代々木公園となる。皇居から等距離に間に障害を挟んだ、ほぼ中央線の上下で別れる文化圏が山手線内に浮かび上がる。江戸城の名残なのか、にしても新宿と渋谷は随分後に形成されたはずだが…この隔離は意図的に作られたのでしょうか? でもって13号線が出来ると少しは変わってくれるんでしょうか? 個人的には東京の都市計画の致命的な欠陥かな、と思いますので興味あります。