生神様

ポップソングとスター・システムについては、色々思うことがあるのだ。けど、やっぱり個人的にはいい音楽を作る人はポップスターであるし、そのミュージシャンというペルソナを崇拝することを否定は出来ない。そしてポップ(ス)という形態にはダンスミュージック以上の肯定と否定の感情がある。それを革命的な歴史的行為と思う反面、俗物が寄生する病んだ機構と白痴な聴衆を製産する面も知っているつもりだ。
しかし全否定は出来まい、クラクラと陶酔することやキャーって性的なリビドーが登り詰めることを。それが文化の本質の一端だってことに気づいてんだからね。僕だって当然あるし、あり続けなければ審美の一つを失うとも思ってる。

で本題。ロックンロォルはその力によって様々な神話や伝説を築き上げ、売名行為や鬼神や奇人変人を輩出しながら、20世紀後半に近代を切りくずしてきた。そこには行為と供に死んでいった者達を、ギリシア神話を語るかの様に伝承し、新たなる幻想の共同体を造り出したといってもいい。死んだ者が神になるのは、日本の専売特許なんかじゃないのね、ロックレジェンドの世界は今なお信仰されているのだ、その音盤や動画や伝記によって。布教もビルボードチャートから毎週発せられ、音楽新聞やMTVでポップスの歴史は日産され、神話バイブルの説法もラジオから限り無く流されているのだ。


http://msnbc.msn.com/id/11241012/
上記のリンク先の写真、金髪のモヒカンのアフリカ系アメリカ人の男性こそ、僕のポップスターのひとり、スライ・ストーン。60年代にスライ&ザ・ファミリー・ストーンを率い、ソウルとファンクとロックンロールとポップスを横断しその総てに於いて最大の尊敬賛辞を受けた人物。匹敵出来るのはジミヘンぐらいだろう。ジミの様に死して神にはならず、公民権運動/サマー・オブ・ラブ/ピープル・パワーの引き潮と共に半ば隠とん。そして、おそらく既に神話の中でしか語られなくなった生者として(双璧としてシド・バレットが挙げられるかな)生き神とされた。

しかし、先日行われたグラミーで突如(?)再結成したようです。云十年ぶりにオリジナルのバンドが演奏するなか、一瞬登場し「Higher」を少し歌うもすぐに引っ込んでしまったそう。



めでたいというか恐れ多いというか…彼と同じ時代に生きていることを感謝します。信仰告白です、神と供にあることの幸せを噛み締めて、往年の名盤を今夜は聴き酔いたいと思います。おぉ神よ!