あいまいな群衆のわたし

9月が色々あってグッタリしているので、なかなか日記な気分になれない。なので、過去に書いたモノを再録しちゃえ。SAND[Social Artists Network for Democracy](http://blog.livedoor.jp/sand3/)という友人達とやってるユニットのメルマガに載せた物だけれど、5ヶ月たったからいいよね?

論旨なんてない雑感なのだけれど、結構文字数の関係で言い足りない食い足りない部分がありながらも、ある点では迫っていると思うがどうか。

『批評の広場 Review by the members
アントニオ・ネグリ・著
ネグリ 生政治的 自伝―帰還」 作品社
ネグリ 生政治(ビオポリティーク)的自伝―帰還


お題は「労働」とのこと。レビューとなるか不安だが個人的感慨も含め書き連ねたい。

過日、5月の連休中に母が、昨年亡くなった父の追悼号の「北方」なる冊子を持ってきた。これは「秋田県民間教育研究団体連絡協議会(略して民研)」なる団体の機関紙で、そこで父は40年間所属し一昨年まで3年間代表であったのだ。「北方(キタカタ)」とは領土ではなく、「北方教育」という戦前昭和30年代の東北生活綴方運動(http://oohara.mt.tama.hosei.ac.jp/rn/senji2/rnsenji2-200.html)のこと。父は一教師として戦後、運動の遺産継承と研究交流をこの民研で行ってきた。当初は教育サークル協議会といっていたらしく、あくまで民間のグループである。これはサークル活動といい、職場から離れた職能研究交流の労働者文化で、5,60年代には大きな現場の力となった。しかし僕の記憶では、現場での実践はともかく、運動の縮小に苦労する父の思い出がある。組合の組織率の落ち続ける時代に、民間研究サークル活動など風前の灯火であったのかもしれない。ただし生涯の仕事としてやり遂げたことには誇らしくも羨ましくもある。後姿はいつも輝いていた。

さて、イタリアの思想家アントニオ・ネグリの自伝である本書。彼が自分の経験を振り返りつつそのイデアを解説する。68年を用意したのは戦前の反ファシズム運動の連続性である、という説には、父の活動がダブったり。また情熱や愛を〈生〉として政治の原動力としたことも。ファシズムとの対決、アウトノミア運動、赤い旅団事件、フランスへの亡命、帰還、逮捕収監等々彼の人生が政治として存在する。タイトルの「生政治」そのままである。

多くの興味深い言葉の中で、初めて読んだかもしれない驚く一節に当たる。長くなるが引用しよう。
『八〇年代の初めに、それは不可能になりました。社会主義ならびに(あるいは)コミュニズムによって促進される社会の内部的な発展を管理していこうという企ては不可能になりつつありました。われわれの目的であった反逆の持続は(中略)もはや意味をもたなくなったのです。そういったことすべてを再解釈しなければなりませんでした。私にとっては、この新たな計画の探求は絶対に根本的なものでした。「労働者階級は消滅した。それでも、闘いは持続する」と言う人々を私は嫌悪します。そうではないのです。労働者階級は消滅したということ――これは本当ですが――は、その力関係と結びついていたシステム全体が危機的状態に入っているということです。七〇年代の終わりにおける権力の勝利は、旧来のシステムを再肯定するのではなくて、逆にそれに深い変化をもたらしました。』P062

「労働者階級は消滅した」70年安保敗退と供に…って日本でマルクス葬送派でも言ってませんよね?(因みにネグリは葬送していません)これは僕にはショックでした。確かにサークル活動の撤退戦に身を投じた父を裏切るようだが、芽が出ない種を蒔いている様にも見えていた。ネグリは労働者階級の主体が資本との闘争により双方が別性質に変容し、マルチチュード(変革主体)と帝国(脱中心/脱領域権力)に関係は移行したと語る。階級闘争ではない新たなる唯物史観の考察である。これについては『〈帝国〉』ISBN:4753102246『”帝国”をめぐる五つの講義』ISBN:4791761294解しやすい。

さて僕らはどう変容したのか?確かに労働者ではなく消費者として振る舞い、対決より協調に心砕くのは、40年前にはない習性。当時とは恐らく社会と仕事に挑む姿勢は全く変わっている。生涯賃金リスクマネージメントで人生設計をすることは従属関係そのまま、資本との闘争で軍門に下る敗走兵の様ですらある。しかしそれは生き生きとしているのか?

ネグリフーコーから受け継いだ概念「生政治」(ビオポリティーク)を巡りマルチチュードと帝国は駆け引きを行っているという。フーコー曰く現代社会は大きな収容所、その中で生き生きと共生の政治圏を創り出すことが出来るならマルチチュードであろう。父は「生政治」に生きた。果たして僕はこの変容した時代に父のように生き生きと人生を楽しめるのだろうか。』

編集後記でid:ookaさんが『「生活綴方運動」については、手軽に読めるものとして、鶴見俊輔久野収現代日本の思想」(岩波新書)があります。』と紹介してもらった(けど未読ですいません)のだ。戦前や戦後直後の日本の思想運動空間には、おそらく今でも使える感覚が多く眠っていると思ってみたりするけど、不勉強ですね。50年代とか面白そうですよね。

さてメルマガ用に、「生政治」や「生権力」「剥き出しの生」を上手く「戦前や戦後直後の日本の思想運動空間」に接続出来ればいいな、と妄想したのだけれど文章はアウェイ。

なので表現は難しいので、イキイキと僕の人生の生き方で勝負です。つうわけで、Mixiマルチチュードコミュhttp://mixi.jp/view_community.pl?id=317430作ったのでよろしく。たいした学もないのに大風呂敷、まぁRLL(http://mixi.jp/view_community.pl?id=206778)と同じ気分で気楽にいきます。