勝つ時だって、あるだろう

quawabe2005-03-12

わざわざ、この“視覚伝達失敗”を読んで共感してコンタクトしてくれたミュージシャン“ヒデヨヴィッチ上杉”氏が京都から東京ツアーの為に上京した。彼のバンドはR&Rふたり組“ジェロニモレーベル”(http://www.gernm.com)とジプシー・トラッド、ラテン、チョチェックをやる“ファルソス・ヒターノス(偽ジプシー)”(http://www.falgitanos.com)。
“ファルソス・ヒターノス”はアコーディオンとアコギの2人セットで高円寺の小さなライブバーで、“ジェロニモレーベル”は新宿URGAでギターヴォ―カル/ドラムでラケンロ〜ル版で、それぞれ鑑賞した。上杉さんのブログ“勝つ時だってあるだろう(http://blog.livedoor.jp/hideyo327/)”を読んでいたので、彼の言語力は確認済みではあったのだが、関西弁でまくしたてるステージは予想以上に、強く洗練されたコミュニケーション力を持つ言葉があった。しかしそれ以上に楽器の鳴りと楽曲の組み合わせが魅力を放っていた。ステージングは煽りと予想不可能なインプロビゼーションで2人組の息を合わせ外すという玄人好みの楽しみがあった。そしてステージのあとは、彼と語りを入れた。
ロックンロォルの照準についてはライブの音を聴いて信頼出来ていた。基本的には〔黒人のロールする感覚をストーンズ経由で獲得しパンクでチューンするというビート感のあるロックンロールバンド〕の前提を軽くクリアした上で、個性を獲得した楽曲と穴埋めでは無い自意識の高い言葉を持った日本語バンド。そこからどの様なコミュニケーションをするか、という音楽をする動機には体験を伴った確信があった。9.11と世界、音楽と言葉、自意識(知性)と無意識(野生)といったロックンロォルの諸問題に対峙しながらロックしてロォルするということ、真っ当な方向で転がっている様に思えた。“ファルソス・ヒターノス”の非英米的音楽の吸収と咀嚼も今日日のアプローチとしてはズレが無く先端に思える。
彼の嗅覚とバイタリティー、知性と野生には感服し、実際に今回会って話す事で随分勇気を与えられた。今後のことも少し話しながら、彼の周りに集まる魅力的な面々と意気投合し同志的盛り上がりを持ちながら楽しい時間を過ごした。これからも彼には要チェックだ。

最近はさっぱりメジャーミュージシャンや来日アーティストのライブは興味なくなった。インディーと比べメジャーや来日アーティストのステージが特別とも全く思わなくなった。まあ婦女子マーケット狙いの音楽はそれはそれで必要だと思う。しかし30過ぎたロックンロォル好きの人間に魅力的な音楽をやっているのは、自分で凌いで転がっているインディペンデントなミュージシャンになってしまう。アンダーグラウンドの中でカッコよくてポップで、それでもゴツゴツと原石の状態だがカリスマチックな光を放っている人間が沢山いる。これだからライブハウス通いは辞められない。