ジョー

渋谷パルコで開催中の「ジョー・ストラマー ★ 過去、現在、そして未来」展に行ってきた。
http://www.ganban.net/joe-index-new.html
http://smash-jpn.com/joestrummer.html
101'ersの頃の写真と音源、クラッシュの来日の写真と資料、晩年のメスカレロスの頃の資料で構成されていて、全盛期のクラッシュの一面的なイメージではない彼を見る事が出来た。

会場で映像としてビデオクラッシュ(?)が流されていた。
This Is Video Clash [VHS]
その中の久々に見た“ジス・イズ・レディオ・クラッシュ”のフィルムに釘付けになってしまった。


ブレイクダンスするヒスパニック
グラフィティーで埋められた壁とピースだらけの地下鉄
ベトナム移民らしき家族と管理当局の暴行
監視カメラと自由ラジオ
ザッピングするビデオとレゲオのセレクターのあおり
塀(ボーダー)の上を踊るクラッシュメンバー


帝国とポストコロニアルな世界を先取り表出するマルチカルチュラルな80'sNYとそこでうかれるクラッシュのメンバー達。まだギャングの為ではないヒップホップのバトルが自治空間を産み出していた時代(今のギャングスタジュリアーニがキリキリと支配権を争うマッチョな空間ではなかった、あのNY)の空気がふと“マルチチュード”なるイメージを体現している様に思えてきた。


ジョーの軌跡を思い出す。
パブロックから出発しロックンロール(とそのルーツのブルーズとカントリー)をパンクの触媒でフルチューン、オリジナルにレゲエを消化しダブを磨き上げダンスを発見、NYでヒップホップをピックアップ、放蕩の先人ビートニクを参拝。中産階級出身を悩みIRAや赤い旅団へのシンパシーを語り、その後のヒスパニック文化への掬い上げる視線と中南米従属論を肌身に感じるツアーと言動。アイリッシュをたどるルーツへの過程。レイブ通過後のトラベラーとの融和。通してみれば英米の中心から根子と周縁を丹念に掘り当て拾い集める人生。



資本のボーダーレス化に対抗する、ロックンロォルな焦燥を基調にしたマルチカルチャーでボーダレスな踊る発作を夢想する僕には、ジョーはやはり偉大過ぎる兄貴であった。