僕が想う近未来---1

quawabe2004-10-01

前世紀の20年代前半と60年代末はそれぞれ未曾有の文化芸術爆発があった時代である。横断的に芸術の形態がクロスオーバーし、様々な相乗効果が起こった。双方ともアヴァンギャルドの時代であった。

20年代の方は絵画を中心とした西欧美術が前衛芸術によって平面の滑走路から飛翔し、現在のコンセプチャルな世界に向かう切っ掛けとなった。そこには演劇や詩や写真や映画や等の芸術の溶解と混交が起こり、一種の文化の躁状態であった。日本では大正ロマン後期という時代か。

60年代の方も十二分に前衛芸術が花開いた時代だった。コンセプチュアルアートが一般化し過激化してハプニングやパフォーマンスといった時間芸術に肉薄した。それを受けてポップスは飛躍的に発達したアートになった。ジャズの最後の輝きとロックの高度化がこの時代の前衛であった。大阪万博寸前までがこの時代であったといえる。


この二つの時代のアヴァンギャルドは何を糧として爛熟したのだろうか? 答えは戦争とインターナショナルなスピードの高速化である。言い換えれば政治の意識化に対しての文化の抵抗といってもいい。


20年代ロシア革命後のソ連承認とムッソリーニファシズムの台頭によって、市民生活に政治の臭いがし始めた時代でもある。1次大戦の後のワイマール下でのベルリンがこの時代の文化の中心都市でったことを考えるとよく分かるだろう。自国の共産化を恐れた当局の締め付けか強くなり、反動で多くのアーティストがコミンテルンに自由を見たのだった。殆どのこの時代の功績を残した作家はコミュニズムに傾倒し新しい芸術の源泉とした。逆にファシズムに感化されたイタリア未来派も存在した。きな臭い空気が流れ始め、次の大戦の用意をしていた時代でもあった。

60年代末も勿論戦争の臭いがしていた時代である。植民地世界の独立戦争が起こる50年代後半から戦後の意識が芽生えるが、それが冷戦との代理戦争という形でインドシナやアフリカで軍事介入が起き解放戦線が立ち上がる。パレスチナでも第3次中東戦争が始まり中国では文革が始まる。芸術家がノンポリで居ることの出来ないこの時代、造反有利という言葉と芸術の変革とは無関係であるはずも無かった。


何を言おうとしているかというと、そろそろそんなきな臭くも創造性に溢れた時代が到来するのでは、ということなのだ。