マンチェ雑感

quawabe2004-08-28

UKのニューウェイブとマンチェには連続性として、その後の“UKロック”等と緩く呼ばれたりするカラーがあったのは確かだ。スミスを中継としてその前後のビートルズピストルズ〜スミス〜ローゼス〜オアシスと繋ぐかの様な言説がNMEやロキノンで支配的に語られたりもしている。しかし都合のいいバンドばかりを並べた物言いである事は確かで、英国のロックがそんな単一的な流れでここまでやってきたわけはない。
まあ“UKロック”の虚構性は置いておくとして、不連続性を上げておきたい。
UKのクラブシーンがレゲエ/インダストリアルミュージックからアシッド・ハウス/バレアリック・ビートに切り替わる88年セカンド・サマー・オブ・ラブによって、ニューウェイブのビートにも変化が起こる。
この直前、平凡なニューウェイブバンドだったウッドゥンストップスがフロア対応のパーカッシブな音に変化し元祖バレアリック・ビートとして名高い“ホワイ”をリリースする。またスタイル・カウンシルのラストアルバムもハウスだったがレーベルからリリース拒否に遭う。先鋭的なアーティストは当時この方向に向いていた。元祖ダンス・アクト・ロックのニューオーダーはいち早くイビサで遊び狂いレコーディングを行っていた。ファーストカットepのジャケはアキラに出てきそうなカプセル。そして、そのニューオーダーのバーナード・サムナーがプロデュースしたハッピー・マンデーズがデビューする。
この時点で単調なエレポップ然としたバンド群は時代遅れとされた。ハウス的な16を基本としたビート感を持つかどうかで時代は分けられた。バレアリック・ビートと言われる物はジャンルレスなある感覚に基づいたビート感のことで、ファンクもディスコもロックも混ぜこぜになった物だが、それを理解出来るかどうかが鍵であった。ここに一つの大きな区切りがある。
そして90年に頂点に達するインディー・ダンス/バギー・ビートがUKロック・シーンを席巻する。ロックバンドは踊れる曲を書く事に終止し、ハードコアのカオスUKすらハウスリミックスを作った程だった。猫も杓子もそれ風のアレンジでダンスした。今までやってきたニューウェイブ風味を捨ててエクスタシーで踊る事に熱中した。